ジョージナカシマのチェアやテーブルとは?ミナペルホネンや香川にある記念館とは?

ジョージなかしま

家具デザイナージョージナカシマチェアテーブルとは?

ミナペルホネンとの関係は?

香川県にあるジョージナカシマ記念館桜製作所について。


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ジョージナカシマさんのプロフィール

 

日本名:中島 勝寿〈なかしま かつとし〉、1905年5月24日 – 1990年6月15日)は、アメリカの家具デザイナーです。

1905年ジャーナリスト中島勝治と寿々の長男としてワシントン州スポケーンに生まれる。

1929年ワシントン大学卒業後ハーバード大学大学院に進み、すぐマサチューセッツ工科大学(MIT)に移籍。

1933年世界一周の旅に出る。ロンドン・パリに滞在。ル・コルビュジエのスイス館の建築現場に通う。

1934年パリを発ち、インド・中国経由で日本に向かう。帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、東京事務所を開設したアントニン・レーモンド建築事務所に入所。同僚に、前川國男・吉村順三。

1944年ニューホープ近郊のペンシルベニア州バックス郡で家のガレージを工房として 、デザインから製作まで一貫した家具作りを始める。

1973年吉村順三がロックフェラー邸を設計、220点以上の家具をナカシマが製作。

1990年ペンシルベニア州ニューホープにて没。

 

ジョージ・ナカシマは1964年、彫刻家・流政之先生の薦めで来日し、高松を訪れました。

地元讃岐の木工・漆・石などの職人達を中心とする運動「讃岐民具連」を知り、おおいに共鳴、自らその一員となったわけです。

しかし、当初は流さんのアトリエを見学するだけのつもりで香川に来たそうです。アトリエにあった民具連のあんどんを見て興味をしめし、建具屋さんの小西さんと意気投合。「讃岐民具連」に積極的に参画、自身のデザインした家具製造先として、世界では唯一、香川県の桜製作所との付き合いが始まりました。

 

桜製作所香川県にある小さな木工所。

創業は1948年で、
家具などを主に製作しています。

ジョージ・ナカシマの家具を作っているのは、
世界でもこことアメリカの2カ所だけです。

 

現在桜製作所には18人の職人がいます。その中で40年以上働いている親方は
3から4人程度なのだとか。

職人には一つの家具を一人で全部作らせているそうです。

現在は効率化の為に、ひたすら同じパーツを作らせるなどの発想を持った会社が多い中、桜製作所はこの手の発想とは180度異なっています。

全体を見えるようになってこそ、職人として成長できるという考え方だそうです。

まさに日本を代表する職人集団の集まりなのかもしれませんね。

 

ジョージナカシマさんの作品、いわゆる家具を紹介します。

代表的なものといえばコノイドチェアです。

画像はこちら

直線と木の持つ趣と卓越した木工技術の結晶の椅子、キャンチレバー(片持ち)構造のジャープなラインが特徴のこの椅子は、一見る不安定だが、非常に強固な椅子である。
発表当初は同様に不安定な構造に批判が集中したときく。
傾斜する2本の背と脚、それに突き刺さる座、そして脚元。
とくに脚もとの接合部分は、卓越した木工技術なくしてはなりたたない。

他にも、ラウンジチェアミラチェアなど見た目も美しく、座り心地のよい椅子達がありました。

 

テーブルも、ミングレンII ダイニングフレンチマンズ コヴ II ダイニングといった代表作がありました。

どれも美しく存在感に圧倒されます。

小物キャビネットといったものもありました。

 

写真より実際見た方がいいのかもしれません。現在日本で展示販売しているのは

香川県の桜製作所の本社に併設されているジョージナカシマ記念館と、銀座にあるショールームぐらいになるかもしれませんね。

桜製作所のホームページはこちら

 

 

古き良き技術の継承をしていくと同時に。新しいものを取り入れたりもされているようです。

桜製作所」を率いる現会長の永見眞一が、ジョージ・ナカシマがつくりたかった家具とは何であったのか?次世代へ伝えたいことは何なのか?と考え、「桜製作所」とファッションブランド「ミナ ペルホネン」のコラボレーションによる家具が誕生した。

ミナ ペルホネンとはこちら

 

コラボレーションによる家具画像はこちら

 

 

少しでも「木の素晴らしさ」「家具の美しさ」を再確認させられますよね。

日本人の手仕事の素晴しさを改めた感じましたね。

 

 

 

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